Sheep
┄┄ おねがい、ひつじの絵を描いて。
Eのときにも話したような気がするんですが、ほんとうにブログやら日記を書いてこなかった人生だったので
まさか眠れなくてブログを書く日が来るなんて思ってもみませんでした。
こんばんは、冬眠する雪だるまです。
おはようございますかもですね。
Sheep と Sleep が似ているから、眠れない夜にひつじを数えるんだそうですね。
クリスチャンのくせに、ひつじといえば先に星の王子さまが思い浮かびます。
次点はショーンなおひつじ座の女です。
星の王子さまは、わたしにとって、幼心を忘れてはいけないことを思い出させてくれる小説です。
ずっとずっと、これからも大事にしたい小説です。
ずっと、大人であることを求められてきました。
良い子であることを、良く見え、気が利き、必要な行動が取れることを求められてきました。
わたしはいわゆる、ゆとり世代・さとり世代と呼ばれるあたりの生まれです。
ほんとうにいろんなことを諦めてきて、ほんとうにいろんなことばを受け入れてきました。
それが普通だと思っていました。
幼いわたしのこころを無視して、良い子で、良い人で、普通の大人であろうとしてきました。
かくあるべきという姿があって、その姿から離れすぎないように生きてきました。
きっとわたしは、ぞうを丸飲みした大蛇ボアの絵を見れば、帽子の絵だと答えるし
羊の絵を描いてと言われて、挙句何度もそれじゃないと言われれば、きっと箱の絵なんて描けないまま、いろんなひつじを描き続ける。
そういう、面白みのない残念な普通の大人です。
なにかトラウマ的な出来事があった訳ではないはずなんだけれど、私は義務教育辺りまでの記憶がほとんどありません。
いや、正確にはあるんですよ。
こういう事象があったという記憶はあるけど、そこに自分の感情が介在した記憶がありません。
たとえば、
小学生の頃、公園でドッヂボールをしていて、三つ上の男の子が投げたボールが顔にあたったということは覚えている。
けれど、そのあとわたしは泣いたのか、我慢したのか、一切覚えてない。とか。
たとえば、
中学生の頃、体育祭前の全体応援練習で、応援団の人たちに 校歌を歌う声が小さいと言われて、そのまま翌日喉を枯らしたことは覚えている。
けれど、そのときわたしは憤ったのか、努力したのか、一切覚えてない。とか。
(ついでに、当時保健委員で、朝の健康観察をクラスメイトに頼んだ事も覚えているくせに。笑)
マタイの福音書 18:3-6
言われた。「まことに、あながたがに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
また、だれでも、このような子どもひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
疲れると、どうにも思考が幼くなるなあと自分に感じることがあります。
そういうときのわたしが、わたしはまだまだ苦手です。
拗ねたり、寂しがったり、泣いたり、怒ったり
マイナスの感情を表出することも、受け入れることもまだまだ苦手で。
どうされてきたかを覚えてないからなのか、どうしたらいいかわからなくなる。
ただ 他人が困るだろう ということだけインプットされている、ほんとうに残念な大人のできあがり。
湖の深みでおぼれてしまわないように、子どものようなわたしも受け入れられるように
夜更かしついでにおでんでも買いにいこうかなんて思う深夜3時のブログでした。
寝れない夜のひとりごとは長いね。
それではまた、おやすみなさい。
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