十二国記を聖書で読み解く
私が最初に聖書を読んでからハッとしたのは、十二国記でした。
物語の初めから終わりまであまりにも聖書で、
小野不由美先生は聖書まで読まれているのか…?と驚いたほどです。
私のレビューは読んだことある人を対象に書くので細かい内容は省くため、
気になった方は原作をご覧ください(笑)
主人公・陽子は日本で生まれ育ったごくごく普通の女の子でした。
ところがある日、突然麒麟と呼ばれる霊獣(人型)が現れて「あなたは王だ」と言われ、
突然異世界に連れて行かれるところから物語がスタートします。
しかし物語を読み進めるとわかるのですが、
陽子は不老の人々が住まう十二国こそが生まれ故郷だったのです。
では、一体何が聖書と共通しているのか。
話は今から約3500年前、出エジプト記に遡ります。
英語では「エクソダス」と記されることからもわかるように、出とは「脱出」の事。
神様にその信仰が認められた人に、アダムの子孫アブラハムがいます。
神様はアブラハムに「約束を守るなら、あなたの子孫の数は増え、王となる」という契約をされます。(創世記17章参照)
しかし、アブラハムの子孫であるイスラエルの民はその数があまりにも増えたため恐れられ弾圧されるようになり、エジプトで奴隷となります。その期間は約400年間。
彼らは生まれてから死ぬまで奴隷の身分のため、
奴隷としての生き方以外を知りませんでした。
そんな時代に神様はモーセ という1人の牧者を選び、
その人を通してイスラエルの民をエジプトから脱出させるようになります。
そうしてやっと人々は自分が神様に約束された王の資格を持つものだと再び知るようになるのです。
さて、話は十二国記に戻ります。
陽子は生まれてからずっと日本で庶民として育ちました。
しかし、麒麟という存在を通して、実は自分が異世界の王である事を知らされ、
王となるべく奮闘していきます。
いかがでしょうか?
今まで自分が生きてきた全てのことが偽りで、本来のあなたは王であると言われたら、読者の皆さんは受け入れられるでしょうか?
神様のされることは、人から見るといつも突然起こります。
しかし、聞く耳のあるものは神様との約束を信じて、今までの自分を捨てて戦いに身を投じます。
それがどんなに苦しくても、後に神様から与えていただく褒美が素晴らしいものである事を信じているからです。
十二国記を読み返す機会がありましたら、「自分なら出来るだろうか?」「当たり前のように思っている事が覆る事があるのではないだろうか」そんな心を持ってみてみると、また新しい発見があるかも知れませんね☺️
ローマ人への手紙8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
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