Essay - 『日日是好日』森下典子
エッセイ調の長文って難しいね!
こんにちは。冬眠する雪だるまです。
いざ、ブログを書くことになって、あんまりエッセイを読んでこなかったし、日記もなかなか書いてこなかったなあということに気がつきました。
エッセイの読了は、国語科古典の随筆集を除けば、おそらく片手で数えられるほど…(笑)
知っている数少ないエッセイのなかで、より印象が残っているのは、森下典子さんの『日日是好日』
普通の人だった森下さんが、お茶の世界に触れて、知らなかった・見えていなかった部分を見るようになって、心豊かに自由になっていくことが伝わってくる一冊です。
副題は、「お茶」が教えてくれた15のしあわせ
読みながら、ひとつひとつのしあわせを大切にできればもっと豊かに自由になれることを教わったと同時に、
個人的には、大切にできる余裕がないし、大切にしている人は線引きされる環境だよなぁ…と思った覚えがあります。
初読は大学生のころ。
少しずつ社会に足を踏み入れようとするマージナルマンで、監視社会の窮屈さに希望を見いだせていないころでした。
聖書を読んだ今思うのは、お茶の心と聖書の教えにリンクするところがたくさんあるということ。
そして、その根幹はいつも、自分自身の心を気持ちを大切にすることにあります。
マルコの福音書 12:29-31
イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにはありません。」
隣人愛・隣人を愛せよ というのは、広く知られていると思いますが、自分自身のように愛せよという部分があまり知られていない気がします。
でも、当たり前に考えてみて
自分に嫌いな部分があって、それに似ている他人がいる。その人をまっすぐ愛するなんて、正直無理な話じゃないですか!笑
自分自身を大切にすることで、周囲の人も大切にできるようになる。
そうしたら、相互に監視する必要がなくなって、もっと自由にしあわせに生きられる。
わたしはこれを、聖書を通して教わりました。
今日は何かひとつでも、自分のことを大切にする日にしてみませんか。
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それではまた。
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